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U・Iターン体験者インタビュー

2007年11月28日

【あてのないUターンから得たもの】
今の自分だからこその「岐阜モデル」

大通りから奥に入ったところにあるリサイクルショップ。大通りだけを歩いていたらきっと気づかない場所に、生き生きしながら働くUターン岐阜人を見つけました。岐阜が嫌いで岐阜を出た中村純一さん。その中村さんのUターン後の奮闘ぶりと、これからの展望をお伺いしました。

■ 岐阜から出たおかげで変われた20代

ー中村さんは、岐阜からどちらへ出られたんですか?

中村さん(以下、中村):横浜です。大学が横浜だったので、18歳の時に岐阜を出ました。

ー最初の就職はそのまま横浜で?

中村:そうですね。その時は岐阜に戻ってくるつもりは全くなかったので。私、当時は岐阜が嫌いで嫌いでしょうがなかったんですよ。自分の人生の再出発みたいな気持ちで、すべてを断ち切って岐阜を出たかったんですよね。

ーどんな仕事に就かれたんですか?

中村:最初は教育関連の仕事に就きました。大学は工学部の建築学科だったんですが、大学時代にたまたま入ったマジック(手品)クラブの影響で人に会うことが楽しくなってしまってね。デパートの手品売り場でデモンストレーションのアルバイトをしているうちに人生観が変わったというか。元々あまり目立つことはしないタイプだったんですが、自分を知る人が誰もいないという環境もあったおかげで、それまでの自分とは全く違う自分を思いっきり出すことが出来たんでしょうね。高校までとは逆に、人前で何かを喋ったりすることが大好きになっていきました。

ー大学時代は建築学よりマジックに力が入っていたと?(笑)

中村:そう。だから建築関係に進むこともできず(笑)、教育関連の会社で社員教育セミナーの司会をやったりしていました。その仕事を8年くらいやっていました。

ー8年も。長かったですね。

中村:その8年間の中で、ある時「営業セミナー」の担当を任されたんです。それで、営業教育のできる講師を招いたセミナーを企画・運営しているうちに「営業って面白いな」と思うようになり、自分は営業なんて一度もやったことはなかったのですが『モノを売買する』ということに興味がわきました。そのうち会社から「自分で会社を興して商売をやってみないか?」という話をいただき、ネクタイの訪問販売をする有限会社を立ち上げました。

ー面白いキャリアチェンジですね!

中村:ちょうどその頃はいわゆる「バブル期」だったので、ネクタイは面白いように売れました。セミナーを受講している人が営業実践としてネクタイを売りにいくのですが、若い女性の営業でも1日に30〜40万売り上げてくるんです。しかし、バブル期が終わると全く売れなくなりました。その頃にはディスカウントショップの進出が盛んになり、私たちが売っているのと同じネクタイが、はるかに安く手に入るのですから当然ですよね。
立ち上げた会社は続けるのが困難になり、元々いた教育関連の会社は有限会社を立ち上げると同時に退職したという形になっていましたから復帰することもできず、どうしようもなくなって岐阜に戻ってきました。

■ マイナスからのスタートだから、やれることは何でもやる。

ーそうすると、「岐阜に戻ってこれをやろう!」と夢を持って帰ってきたわけではなく…

中村:完全にマイナスからのスタートです。

ー岐阜では就職されたんですか?

中村:いいえ。就職しようと思えば出来た頃だったと思うのですが、たまたま同じような境遇で東京から帰って来た人に出会い、5人くらいで「便利屋」を始めました。

ー「便利屋」とはどんな仕事なんでしょう?

中村:依頼があれば何でもやりますよ。小さなチラシを作ってポスティングをし、それを見たお客さんから仕事の依頼が来る。依頼内容によって5人で誰が行くのかを決め、5人それぞれの得意分野を活かすかたちで仕事をするわけです。私はこれといって何ができたわけではありませんでしたから、掃除や引っ越しの手伝いなど、そういった依頼に対応していました。

ー大変そうですねぇ!

中村:しかし、これが今のリサイクルショップにつながっているんですよ。
引っ越しや掃除に行くと、お客さんから「要らないから引き取ってくれ」と言われて持ち帰ってくるものが結構あるんです。これらはお客さんから見たら不要品かもしれませんが、手入れをすればまだまだ充分使えるものがたくさんあります。そこで、毎週土日は便利屋をお休みにしてフリーマーケットを出店し、お客さんから引き取った物の中からまだ使えそうなものを出品することにしたんです。

ー今でもフリーマーケットに出店されているんですか?

中村:今はこの店舗がありますからね、私自身がフリーマーケットに出ることはなくなりました。しかし、この中部地区一帯のフリマ情報を集約したサイト(フリマ総研:写真右下参照)を運営しているので、各開催団体から開催情報は私のところに集まってきますよ。このサイトも立ち上げて8年になりますね。岐阜の情報は少ないですが興味があればサイトを見てみてください。

■ インターネットが岐阜ビジネスを変えた

ーサイトのお話が出ましたが、中村さんはリサイクルショップの他にホームページ作成代行やWebビジネス講座の講師などもされているんですよね。

中村:ホームページ作成を生業にしようと思って始めたわけではないんですよ。ただ、先ほど話していた「ポスティング」に代わる方法が何かないだろうかと探っているうちにインターネットに行き着いた感じですね。ポスティングって大変なんですよ。チラシのデザインを考えて、印刷して、それを自分の足を使って配布するわけですからお金も時間もかかります。面倒くさいんですよ(笑)。その割に、配布できるエリアも狭い。広域に配布するために新聞折込を使おうもんなら、結構なお金がかかりますからね。

ー面倒くさがりやが功を奏したと?(笑)

中村:そうですね(笑)。うちの店は『リサイクル生活ぷらざ』というんですが、店のサイトは検索ワードを「リサイクル 岐阜」で検索してもらうと、かなり上位に出てくるんです。これなら確実に「使わないものがあるけれど、捨てるのはどうも…」と思っているお客さんにヒットします。お金儲けをするためのサイトではなく、お店の情報を提供するためのサイトです。
インターネットは使うべきですよ。今はお客さんのところに物を引き取りに行くのではく、お客さんから引き取ってほしいものが送られてきます。しかも全国からです。

ーあ、なるほど。インターネットなら中部圏以外の方にも簡単に情報が届くわけですね。

中村:その通りです。うちは送料お客様負担で送ってもらうのですが、岐阜という場所も幸いしていると思いますよ。岐阜は日本のちょうど真ん中くらいにありますから、どこから荷物を送ってもらったとしても、とんでもなく高い送料になることはありません。

ーホントですね。気づきませんでした!ポスティングよりはるかに効率がいいです。

中村:でしょう?こちらから何かを送る時も、自分自身がどこかに出かける時も同じことが言えます。岐阜は物流面で見た時に非常にいい場所にあるわけですよ。家庭にパソコンやインターネットが普及した今だからこそ、岐阜でのビジネスはすごくやりやすくなったと思いますよ。
あとはね、岐阜ってアパレルの町でしょう?古着を扱っていると「これは岐阜でやらなあかんのやろうな。」という気がするんですよ。岐阜から全国に発信したものを、岐阜できちんと回収する。まぁ、そんな一面もあるかと思ってます。

ー「使い捨てはもったいない」というのは、岐阜に限らず古くから日本にある美徳ですしね。

ー中村さんが戻ってきたばかりの頃の岐阜と今の岐阜とでは、ずいぶん変わった感じがしますか?

中村:うーん、岐阜そのものはそんなに変わっていないという気がしますね。岐阜が変わったというより、インターネットの普及のように環境が変わったんでしょう。だから、岐阜というローカルエリアでも商売が成り立つようになったと思っていますよ。

■ 岐阜で頑張ることの価値

ーローカルエリアと言えば、実は私このあたりの高校に通っていたので、久しぶりに母校の近くまで来て懐かしいなって思っていました

中村:そうですか。私はこのあたりの中学校に通っていたんですよ。明徳小学校と明郷中学。

ー明郷ということは、ご実家は自営業?

中村:そうです。でも、家の仕事は絶対に継ぎたくなかったんですよ。

ーご実家は何を?

中村:古道具屋です。(笑)

ー結局ご実家とよく似た仕事になってしまいました。(笑)

中村:昔はね、古道具屋ってことでよくいじめられたんですよ。だから家から出たかったし、岐阜から出たかった。ましてや中古品なんて絶対扱わない、家の商売とは違う畑でやっていこうと思っていたんですよね。でも、東京から帰って来た時に「できることは何でもやらなきゃいけない」っていうことを身をもって実感しました。今は親父を尊敬していますね。
思えば、子供の頃は絶対いい服を着ていましたね。古道具屋だからと言って古着なんて着ません。親は必ず新品を着せてくれていました。だから、そういう親を誇りに思うべきなんですけどね、子供の頃は思えませんでした。

ー素敵なエピソードです。一度岐阜を出たからこそ、また岐阜に戻ってきたからこそわかったことなのかもしれませんね。

中村:親の事に限らず、岐阜に戻って来て便利屋を始めた時から、本当に色々考えるようになりました。この近辺も忠節駅がなくなったり、最近またスーパーが出来たりして、その度に人の流れが変わります。それに対応していくためにはどうしたらいいのか、そういうことを考えていないと逆に不安になりますね。

ー何かがダメになったら、何かで埋め合わせる。

中村:そう。必死でその方法を考えるしかないですよね。マジックやセミナーの企画をやっている頃からそうだったんですが、「どうしたらいいか」を考えることが好きで、いつもあれこれアイデアを練っているタイプなので、必死と言いながら自分にはそういう環境が向いていたのかもしれないと思います。

中村:インターネットの普及のおかげで、東京にいても岐阜にいても同じような商売ができるようになりました。名古屋マーケットがあるから東京に劣らないと思うんですよね。むしろ、東京に比べたら人口が少ない分ライバルも少ないと言えます。東京で一番になれなくても岐阜でなら一番になれる。地域一番になれば仕事はやりやすくなります。東京で頑張る必要はないですよ。岐阜の方が絶対有利。

ーむしろ、岐阜の方が頑張りがいがあると?

中村:ホントにそう思いますよ。自分が得意とする分野がもしもあるのなら、岐阜に戻って来て一番取ったらいいんじゃないですか?
「岐阜だからたいしたことはできない」じゃない。私は嫌々帰ってきたんですが、今は「岐阜だからチャンスがあるんだ」とはっきり言えますね。

■ 「売る」から「伝える」へ。人を喜ばせる仕事を求めて。

ー中村さんの今後は?

中村:今まで作ってきた情報サイトを、ネットショッピング化しつつあるところです。売る商品は限定していますけどね。本音を言うと、物売りはあまり好きじゃないんですよ。(笑)

ー物を売るより、パフォーマーですか?

中村:そうそう。人に会うのは好きなんですけどね、物売りは人に任せられるんだったらその方がいいっていう気持ちが心の隅にあります。3年ほど前から某社の社長の家庭教師として通販サイトの運営のお手伝いをしているのですが、その社長と「インターネットビジネスの講座をやったら面白いんじゃないか」という話になり、今年の6月から「インターネットビジネス日曜塾」という講座の講師をしています。全16回の講座ですが、私がメイン講師として9回担当していますので、ご興味があれば是非。

ー日曜塾のサイトも拝見しましたが、ホームページの作り方だけではなく、ブログやmixiをビジネスに活用する方法やSEOなど、実践的な内容ですね。面白そうです。

中村:私のすべてのノウハウを教えますから。マジシャンのタネ明かしです(笑)。今はかなりネットの方に入れこんでいますので、自分のノウハウを人に伝えて、人に喜んでいただくという方向でやっていきたいですね。
あとは、毎週木曜に「パソコンサークルぎふてぃ」というものをやっているんですが、そちらも盛り上がってますよ。色々な専門分野を持った人たちが集まっているので毎回とても勉強になります。何かの機会にそちらも是非取材してくださいよ。(笑)

ー中村さん、生き生きして楽しそうですね。

中村:楽しいですね。ホントに、人生楽しんでますよ。15年前に東京を引き上げて来た時からは考えられないですけどね。

ーでは、Uターンを考えている人たちに何かメッセージをお願いします。

中村:早く岐阜に帰って来いよ!!(笑)

ー(笑) ありがとうございました。

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